スポンサーリンク
札所第24番、亀谷山 壽福寺(じゅぶくじ)
正式名称は亀谷山寿福金剛禅寺といい、源頼朝没後の1200年(正治2年)、妻の北条政子によって創建されました。
開山は国内で初めて臨済禅を広め、また宋から日本にお茶を持ち込んだと言われる葉上房栄西(明庵栄西)です。
元々この地帯は亀ヶ谷と呼ばれる源氏家父祖伝来の地で、頼朝の父義朝の邸宅もあったところです。
義朝が平治の乱で討ち死にした後、岡崎義美によって義朝の菩提を弔う堂宇が建てられました。
壽福寺の参道
鎌倉一美しいといわれる壽福寺の参道。
境内は拝観できませんが、参道の美しさに惹かれて多くの人たちが訪れます。
総門からまっすぐに続く参道はしっとり苔に覆われ、訪れた人の心を静めてくれます。
壽福寺の仏殿と境内
寿福寺は臨済宗建長寺派に属し、鎌倉五山第三位の格式を持っています。
創建当時は七堂伽藍を配し、14の塔頭を所有する大寺院でしたが、1247年(宝治3年)と1258年(正嘉2年)に火災にあい、南北朝時代に再建されたと伝えられています。
仏殿には「籠釈迦」といわれる高さ282cmの本尊宝冠釈迦如来坐像がまつられています。
この時代には珍しい、木製の芯木で作られた骨組みの上に麻布を漆で張り固める脱活乾漆造という技法で作られています。
この技法は奈良時代のものに多く見られますが、中世以降にこの技法で作られた仏像は大変貴重なものです。
仏殿には文殊・普賢菩薩像、源実朝像などがまつられています。
境内は国の史跡に指定され、仏殿前のビャクシンは鎌倉市の天然記念物になります。
普段、境内は一般公開されておらず、お正月とゴールデンウィークのみ入ることができるそうです。
北条政子と源実朝の墓
また裏手の墓地の奥には鎌倉地方特有の横穴式墓所があり、北条政子と源頼朝の墓とされる五輪塔があります。
北条政子が病で没したのは嘉禄元年(1225)。同じ墓地には高浜虚子、大佛次郎ら著名人の墓もあります。
源実朝句碑
壽福寺 庚申塔
壽福寺 御朱印
ご詠歌 きよみづを てつ井にうつす 観世音 すゑの世までも ひかりかがやく
壽福寺 拝観料と時間
拝観時間 日中
拝観料 無料
住所 鎌倉市扇ガ谷1-17-7 tel 0467-22-6607
※変更になっている場合がございます。