材木座の来迎寺へ鎌倉三十三観音御朱印巡りの旅

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札所第14番、随我山 来迎寺(らいこうじ)

鎌倉には来迎寺という名前の寺院が2つあり、こちらは材木座の来迎寺です。

平氏の一族でありながら、源頼朝の挙兵に参加し、鎌倉幕府創設の基盤を築いたのが三浦大介義明です。

来迎寺 山門

来迎寺 三浦大介義明墓と多々良三郎重春墓

義明は石橋山の合戦に敗れた頼朝にところへ自分の軍を向かわせ、一人で追ってきた平氏の軍に立ち向かい討ち死にしたと伝えられています。

当時義明は89歳だったといわれ、老いた体を盾にして主人を守ろうとした義明の死を、頼朝が悼んだことは言うまでもありません。

来迎寺はその三浦大介義明の菩提寺として、頼朝が1194年(建久5年)に建てた真言宗の寺、能蔵寺が始まりとされています。

頼朝の死後1335年(建武2年)に中興開山となる音阿上人が時宗に改宗し、随我山能蔵院来迎寺と改称しました。

境内には三浦大介義明の木造像と五輪塔墓があり、本堂裏には三浦一族の墓も並んでいます。

また義明の孫で17歳の若さで討ち死にした、多々良三郎重春の墓とされる五輪塔もあります。

三浦大介・多々良三郎

来迎寺 本尊

本堂には子育て観音としてご利益があるとされる札所本尊の聖観世音菩薩と、14世紀頃の作品といわれる本尊の阿弥陀如来像が安置されています。

阿弥陀如来像は義明の守り本尊で、運慶作と伝えられています。

来迎寺 本堂3

来迎寺 本堂2

来迎寺 本堂

元は現在来迎寺の裏山にありましたが、1872年(明治5年)に火災にあい1883年(明治16年)に再建された後、戦時中は敵機の標的になるという理由で1936年(昭和11年)国の命令によって移転されました。

来迎寺 境内2

来迎寺 ミモザ

春先に咲き誇るミモザの大木が有名でしたが、残念ながら竜巻の被害にあい現在はありません。

ただ若い木はまだ元気に花を咲かせています。

来迎寺 ミモザ

来迎寺 御朱印

2014-01-07_1900

ご詠歌 たちいにも 念仏のこえを たづねつつ むかうる慈悲の ふかきみほとけ

来迎寺 時間

開門 9:30 閉門 16:30(冬季16:00)
拝観料 無料
住所 鎌倉市材木座2-9-19 tel 0467-22-4547

来迎寺の動画、「アッ!」と驚く美しい映像を見る。

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